『アルバム解説 五十嵐ロングインタビュー』
(インタビューと文:  其田 尚也氏(ROCKIN' ON JAPAN))

被害者であることに安住できるほど……強くなかったのかもしれないすね。うん。ほんとに仏陀とかガンジーのように非暴力で生きられるほど僕は強くなかったんで………改革し始めたのかなあと。この表現の中だけでも自分の暴力性みたいなものを出してみたいっていうか

"My Love's Sold""手首""ソドラシソ""ハピネス""汚れたいだけ"―――この5曲から浮かびあがる五十嵐のクーデターとは一体何なのか? 傑作『coup d'Etat』の「正体」を語りつくす



●6月19日に『coup d'Etat』というアルバムが出るSyrup16gなんですけども、そのアルバムのことについていろいろ聞いていきたいなと思ってます。

「はい」

●審判が下るのを待ってるような、非常にヘヴィな作品だなあと思ったんですけど。

「ああ……。僕も聴いててしんどい感じですね。具合悪くなるぐらいに重いですねえ」

●その重さっていうのは最初っからコンセプトなりストーリーを立てて重くなっていったんですか?

「いや……あの、歌詞はほんとレコーディングの現場なり……ほんと直前ぐらいまでに書いてるんで、そのときの気分が完全に支配しちゃうっていうか。まあ、レコーディング中って結構ヘヴィなんですけど、基本的には。だからその感じはもう『COPY』のときと同様出ちゃってますよねえ」

●『COPY』のときよりも言葉が重いというか、一語一語の強度がすごい高まってますよね。

「ああ、ありがとうございます。うん、なんか……やっぱり『COPY』のときはある意味少しこう、言いっぱなしでいいやっていうところがあったんですけど、やっぱりメジャー1枚目ということでいろいろそれなりに……うーん、いろんな人に聴かれるし、面白いリアクションをね、求めてるだけじゃいけないっていうか。ちゃんと表現という形で出さないといけないなあというのもちょっとありましたね、はい」

●ふうん。じゃあ、意外にもメジャーということは意識したという。

「意識しないって言ったら嘘になるかなあっていうぐらいですけど、そんなにメジャーで出すことに意味のあるバンドでもないとは思うんですよ。でも、いろんな人に聴かれる機会ができて、ほんとに貴重だなっていうか。自分の音楽が広く聴かれるべき音楽だとは思うんですけど、広く受け入れられるかどうかはちょっと疑問だったんで、すごくうれしいですね、はい」

●なるほど。その『COPY』をインディーズから出して、リスナーからのリアクションのなかに「すごい救われた」という感想があったと聞いたんですけど。それによってね、自分の表現に向かう姿勢とか角度が変わったりしましたか?

「うんと……いいこと言おうとはハナから思ってないんですけど。基本的には自分のために歌ってるんだけど、やっぱりだれかの、そこに何か見えない気持ちっていうかね、心が投影されてるような気がしましたね。なんか、自分の中だけでこの言葉が出てきたかというのはちょっと結構疑問かなあと。いい意味で、期待も含めて、なんだろう? 自分が言うべきことと言えることっていうのがはっきりしたんで。もっと言っていいっていうところもあるし、よりこう……なんだろうな? 研ぎ澄まされたというか、その言葉のチョイスにしても曲の表情を壊さない中で自分とリスナー―――リスナーっていうのかな、買って聴いてくれる人の意識っていうか、そこは縮められたんじゃないかなあと思うんですけど」

●なるほど。『COPY』に対しての評価がすごく高かったと思うんですよ。やっぱりそれを受けて一線を踏み越えていっていいんだっていう感覚っていうのを今回すごく感じて。突き抜けてやろうってい意志っていうか。

「(笑)」

●ある種、犯行動機がすごいクリアになってきて。

「わかりやすいですね(笑)。なんか、結構言いたいこと言えるっていうのはすごい貴重だと思って。まあ、インディーでやってるときとメンタリティーは一緒なんですけど、その……より快楽が大きいというか。街宣車で回れるっていうかね。うん。なんかこう、一人でメガホンで回って言ってたのが、もう……規模が違うっていうか。快楽をすごい、歌ってるときに感じましたね。それを意識して歌うともう……全然違う感じがしました」

●街宣車って先ほどおっしゃいましたけど、すごい戦車に乗ってるような攻撃性っていうのを感じたんですけどね(笑)。

「アハハ。うん。ほんとクーデターっていっても政治的云々じゃなくて、ほんとに自分の中でのっていうところもやっぱり大きいっていうか。まあ……脳内革命だとかそんなのありましたけど昔、そういうチマチマしたもんじゃなくて。ほんとにガーンってやっちゃいたいなあっていうか。もうほんと捨て身っていうか。メジャーだから、ある意味『それらしく』っていうところじゃなくて、逆にここまで来て表現できるんだと思うと、どんどん余計いっちゃっても全然楽しいっていうか。うん」

●だから前がビルの屋上で突っ立ってるような作品だとしたら、かなり飛び込んでるなっていうか。

「(笑)。どうかな? ビル……確かにビル降りたかなっていう感じはしましたね。降りて、おなかすいたんでちょっと居酒屋行って飲んでるみたいな感じ(笑)」

●アハハハハ。

「そんでなんかこう、よくわかんねえギャルが騒いでたらちょっとこう絡みに行っちゃったみたいな……違うな、それは違うけど(笑)。でもなんかその、テンパッてた自分も若干笑えるっていうか、俯瞰(ふかん)できるぐらいに。ただ問題は全然棚上げされたままっていう、解決はしてないから。でもとりあえずガーンと酒でもあおってまた戻るなり、うん、そのまま寝ちゃうなり……うん。だからある意味でこう、一応屋上からは降りてみようかなってい気がしました、はい」

●それは、ちょっと大げさな言葉ですけど、生きるって方向に向かってたってことなんですか、それは?

「そう……ですね。うん。とりあえず『COPY』っていう作品を受け入れてもらえたっていうことがすごい自分の中では喜びなんで、とりあえず、うん。まあそんなに急ぐことはないかみたいな感じかなあ。結構、なんだろう、別に浮ついてるわけじゃないんですけどね。結構楽しいことがあるかも……いやでもないけどみたいな、そういう感じかな」

● 「楽しいことがあるかな? いやでも『ない』」みたいな―――非常にその「ない」っていう感覚が今回のアルバムでは非常に出てくると僕は思ってるんですよね。例えば今回の曲だとですね、"ソドシラソ"、8曲目の曲ですね。ここで「行く場所なんて別にねえ」と、「生きてるなんて感じねえ」と、「悲しくなんて別にねえ」と、「愛してるなんて言ってねえ」と、ないないづくしなんですけど、この「ない」って否定を連ねて、どこに五十嵐さんは行きたいのかっていうのをちょっと教えてもらえます。

「ねえ。教えてください、ほんとに」

●アハハハハ。

「ねえ、だれか教えてほしいですね。これは非常に申しわけないんだけど、まだ途方にくれている人がいますよねえ、ちょっと……。"ソドシラソ"って鼻歌で歌ってるっていうか、全然ソドシラソじゃないんだけど譜割的には、音符的には。だけど、なんだろうなあ………とりあえずネガティブな部分を一人で吐き出している悲しい人っていうか(笑)、うん。なんか外に向けて何か促してるわけでもなく、自分で悪態をつくことでなんとか生き長らえようとしている……人ですよね」

●この主人公は。

「主人公は。某…某…」

●某五十嵐は。

「アハハハ。ええ、そうですね。でもこれは感情の振れ幅の一つとしてだれでも思うときがあるとは思うんですよ。でもオレは期待はずれだなと思う瞬間とオレは天才だと思う瞬間が両方ある人間だから。まあ人はわかんないですけど、だからそんなこう、ほんとに『行く場所なんて別にねえ』とか言ってるけど、ほんとに思ってるかわかんないですよね、これね」

●なるほどね。

「うん。だからそれぐらいなんかあったんじゃないすかね、この人は。ちょっとこう……じゃないかなあ」

●"ソドシラソ"っていう鼻歌のようなタイトルの曲で、すごく身もふたもないこと言ってるわけじゃないですか。でも、それは五十嵐さんのポップミュージック観っていうんですかね。要するに人間っていうのは普段、こういうことを鼻歌混じりに思ってるんじゃないかみたいな。

「ああ(笑)。これ、今僕読み直したら個人的過ぎてちょっと笑えなくなってきたね(笑)。でも まあ、うん、なんだろう、モラトリアムなひととき、時期ってすごいあって。なんかこう……その辺の害虫みたいな、虫以下だなみたいなね、そういう気分になるときってよくあったんですよねえ、うん。ただ別にそれでなんかこうめらめらと燃える何かがあるものでもなく、なんかこう……とりあえず酔っぱらって鼻歌歌ってるみたいな感じで……全然これ真っ暗だなあ……(笑)」

●驚きました?

「驚きますね、ちょっと。これはやばいな」

●でもなんか、具体的な物語がここにないじゃないですか。例えば小さいころにトラウマがあってみたいな、ない分非常にみんなに当てはまりやすいっていう。

「そうすね(笑)」

●非常に残酷な曲になってますよね。

「うん。これ、僕の日常も結構出てますね」

●あ、そうなんだ。「生きてるなんて感じねえぜ」。

「うーん……たまに、だから音楽やることでは感じるんですけどね、それは………すぐ忘れちゃうのかなあ」

●実感を?

「うん。なんか……『生きてる』……まあ、あんま感じてないとは思うんですね、普通に生きてると。普通っていうか、何かに巻き込まれたり翻弄されてるときって結構こう……自分がなんか……自分の人生が自分のもんじゃないような感じっていうか、なんかこうオレは生かされてるだけであって……みたいなね」

●なるほどね。

「痛みは感じてるから、生きてるとは感じてるんでしょうけど、でも、『オレが生きてるってどういうことなのかな?』っていうのは時々感じることではありますよね」 どこにも正解が見つからないとき、ものすごい不条理なものに出くわしたとき、もう『神様よ!』っていう感じになるときがあるんじゃないですか。だから『神っていうのはすごく無慈悲なのはどうよ?』っていう感じで、ここに救いを求めてるかどうかまたわかんないんですけどね。悪態をつくぐらいの感じ

● 五十嵐さんの歌詞で一貫してるのは、受動 的なあり方っていうんですかね。じゃあ、一体、何によって受動的なのかっていうところで、今回クリアに「神」っていう言葉が出てきてるなあっていう気がして。だから僕、すごいコンセプチュアルなアルバムなのかなあと思ったんです、結果的に。神を巡る。

「あ、そう。気がついたらっていう感じがあるんですけど、でもそうですね。どの曲にも結構そういう概念が……実際の宗教的な観念とかはそんなわからないんですけど、僕は、無宗教だし。でも、なんかそういう言葉が出てくるっていうことはなんかあるんじゃないかなあっていう気はしますね」

●例えば4曲目の"手首"、ここには「ジーザス」って言葉が出てきますよね。で、これは要するに神と自分が対話してるかのようなバースの入れ替わりがあるんですけど、これは実際どういうようなテーマなんでしょうか。

「うーん、あの……どうですかね、よく詳しくは知らないんですけど、ブルースっていうのが昔黒人の人が抑圧された中で、最後に『Oh,lord!』って、『神よ!』っていう、そこまで僕は同じ状況だとはこの平和な日本で思わないんですけど、でもそういうふうに、もうなんか………どこにも正解が見つからないとき、ものすごい不条理なものに出くわしたとき、もう『神様よ!』っていう感じになるときがあるんじゃないですか。だから『この神っていうのはすごく無慈悲なのはどうよ?』っていう感じで、ここに救いを求めてるかどうかまたわかんないんですけどね。悪態をつくぐらいの感じ………はい」

●なるほどね。自分の中ではゴスペルに近いものって感じます?

「ゴスペル。そうですね、なんかそういう気もしてきたな、今。そういうなんか……別にカルトにはまってるような人と自分がシンクロしてるとは思わないんですけど、でも何かに理由っていうか意味を見つけないとやっぱり生きていけないですよね、人間。で、やっぱり何かにすがりたいんだけどそれが見つからないときはもうなんか…そういう……なんか見えない力にすがるとか、嘆くとかね、そういうことはよくありますね」

● だから実体は多分ここにないですよね、宗教であるとか具体的にどの神を信仰してる かっていう。ただ、神って言葉だけがポンと出てきてしまうっていう。それはすごくリアルだなあという気がして。そういう五十嵐さんは幸福なんでしょうか不幸なんでしょうか?(笑)。

「ハハハハ。わかんないなあ……うーん……いやあ、僕は幸福なんじゃないかなあと思うんですよね、うん。こういうふうになんか……発表できるっていうもの、表現という場をね、与えられてるだけですごいこう……自分になんかの役割があると思えてるという、この状況に関してはすごい恵まれてると思うんですよね。別にロックのスターにとかね、そういうことでは全然ないですけど、自分のメンタリティーの中で。ただ、普段あんまりこう……なんだかなあっていう生活をしてる中で、でも少しこう表現というものの一端を自分でつくれるっていうことはすごい幸せだなっていうふうに思いますね」

●先ほど「役割」っておっしゃいましたけど、この間のWEEKEEND LOVERSっていう、ROSSOとロザリオスと一緒に回ってるライヴで―――多分この番組がオンエアされてるときには終わってるんですけど、そこで「僕は世代の代弁者にしてアジテーター」みたいなことをおっしゃってたんですけど。

「ハハハ。ああ、そうすね。代表みたいな感じですかね。代表っていうかまあなんか、あんまりこういう表現方法をとってる人もいないし…でもこれは全然悪意じゃないから、この言葉を必要とするかどうかは別として僕はこれを言いたかったんで、なんか……うん………こんな人ばっかりじゃ困りますけどね、ほんとに」

●ハハハハ。

「でも、こういう人間が生きてるっていうことをね、大音量のマイクで叫んでみたかったっていうのがありますね、はい」

●じゃあ確かな希望はあるっていうか、自分の中では。

「うん。もう全然僕は前向きな人間ですからね。基本的には暗いとかね、分析するとそういうカテゴリーかと思われるんですけど、でもこういうことはね、あんまり歌いたいとかあんまり思わないんじゃないですか、ほんとに何の希望も持っていなければ。なんらかの理想っていうかね、その関係の中での、人との中での理想っていうか、希望みたいなものがあるからこそこういうふうに……もがいたりとかするんだなあと 思うし、うん。だからこれが僕の中の現実だけど、これは裏切ってほしいっていうかね…うーんなんだろうなあ? ………ここにいることが幸せだとは全然思ってないから、ここから始めて何か自分なりの答えをね、答えっていうか道を探したいなっていうことはあるんじゃないかなとは思いつつ、でも見てみるとそんなことは微塵(みじん)も感じられない歌詞なんで……」

●ハハハハ。

「ちょっと無理あるかなみたいなところが」

●そうですね、説得材料が非常に乏しいですね。

「ハハハハ。でもこれを聴いて、ウワァこれはまずいなっていうかね、ほんと反面教師でこれはねえだろうっていうので前向いて行く人もいるかもしんないし、うん。なんか……これはないな。アハハハハ」

●でも"ハピネス"、ここに「不幸もハピネスだろう」といフレーズがありますね。あと、要するにみんながこういう状況に耐えてるんだという、このバースっていのは一つの救いですよね。

「そうですね。ほんとにみんなそうだとしたら、それを受け入れられるんであればそれはもう……そこは幸せと感じなきゃいけないっていうか、うん。なんか目の前に何があっても最終的にはみんな同じところに帰るんだし、だから何してもいいとは思うんですよね。自分なりの正しい何かをやっていればいいと思うんですよね」

●この曲は非常にポップな曲だなあと思ってて。また、そういう孤独感というのはみんなが抱えてるから、そういった意味ではすごい共有できるし。孤独感という名の連帯っていうか、そういった意味で、ぼくは、これはすごくポップな曲だなあっていう。

「そこになんか一つの……これをこう、まあアジテーションなんてこの間言っちゃったんですけど、それをもって人がつながるっていうのもまた僕は違うなあと思ってるところがあって。こういうやつがいるっていうんで、『オレもそんなとこがあるかなあ』っていう。それで、それを受け取った人が自分の中で一つ、一瞬ちょっと『ああ!』みたいなことがあればもうそれでいいと思って。それをもって『いやあ孤独だねえ』っていうね、そういうことでもないと、そんな社会はもう成立しないし、人と人との関係っていうのはすごい……バンドなんかやってますけど、でもそれはすごい大事だとほんとに 思うんですよね」

●最終的に聴き手と連帯したいわけではないんですよね。どういう作用を聴き手に及ぼしたいっていうのはあります?

「うーん……いや、僕それはもうゆだねたいかなっていう、はい」

●なるほどね。リスナーの主体性っていうか。
「ものすごくこう普遍的ではないかもしれないけど、個人を完全に突き詰めてるんで、薄くはしてないんで、だから深いところでその人となんか……根本的にはやっぱり、遺伝子的にはみんな同じだから、抱えてるものもきっと根底は一緒だと思うんでね。全然部外者っていうのはいないと思ってるんで、だからそれをこう…そこにたまたま僕らのバンドはスポットを当てているっていうだけであるっていう」

●そういうビジョンは結成当初からあったんですか?

「そうですねえ……人とコミュニケーション深くとりたいっていうか、音楽の中でとりたいっていうのはすごい昔からあったんですけど、こういう世界になっちゃったのはやっぱり僕のパーソナリティーかもしれないなあっていう気がします」

●結成してから結構時間がたってるじゃないですか。カート・コバーンが自殺しちゃった辺りぐらいの結成なんですか、これは。

「そうですね、うん。その辺で結構もうやってましたね」

●グランジ世代だと思うんですけど、割と。その世代としてなんかカート・コバーンの死とかから受けた影響とかあったりしますか?

「うんと……カート・コバーンからは純粋に音楽を、3ピースであんだけかっこいいロックをやってくれたっていうことに対してはすごいこうありますけど、でも死んだことうんぬんはもうなんか………ああだこうだ言うことじゃないと思うんですね。すごいパーソナルな問題だから。でもなんか、やっぱり表現した人としては本気でやってたんだなっていうかね、なんかこう、グランジっていう現象があるぐらいだからいろんな似たようなのがいたけど、やっぱりあそこに書かれてた歌詞とか歌われたものっていうのはすごい……その重みっていうのはやっぱり死によって多少意味づけはされたとはいえ、やっぱりこう入ってますよね自分の表現の中に 多少、多少っていうかかなり、うん」

●ほかに大きくインスパイアされたものってあります?

「そうですね、僕は結構日本の音楽も大好きだし、洋楽も結構小学校のころから聴いてたんで、なんのあれもなく結構、洋楽至上主義でもないし、純粋にいいメロディーとかいいコード進行だなとか、いいバンドのたたずまいだなとか、単純に一音楽ファンとしてやってきたつもりなんですけどね、うん」

●今のサウンドになってからは結構時間はたってたんですか?

「そうですね、これが……こういう音像っていうか、自分たちの形ができたのは3年ぐらい前からかなっていう感じですかね。とりあえずメロディーが強いっていう、強くないと気が済まないことに気がついたのと、あと、どっか逃げ場がある音楽っていうか。パンクはちょっと窮屈なんですよね、僕の中で。ものすごい開放的な音楽だとは思うんですけど。逆に昔渋谷系なんていうのありましたけど、ああいう逃避的な音楽っていうかね、なんか享楽的な音楽もちょっと僕、身体に合わなくて」

●逃げ場のある音楽をやりたかった? 

「そうですね、なんか逃げ場がどっかあるっていうのが好きですね。歌詞になくてもメロディーの中にちょっと飛べるっていうか……なんだろうな?」

●重力から自由なところ?

「ちょっとこう『フッ』っていうか、うん。UKとかね、マイ・ブラディー・バレンタインとか、ああいう……なんだろう、言ってることよくわかんないですけど、ちょっと違うとこ行っちゃうみたいなね。ほんとに純粋な音楽の逃避っていうか、それプラス、でも歌詞はちょっとぬるいのはバランスが違うんですね。僕はそのメロディアスな部分とこの歌詞っていうのがすごい自分の中ではやりたいとこなんですが、ちょっとこれはトゥー・マッチと感じる人もいるとは思いつつ……でも、これはしょうがないっていうか。こういう生活してる」

●でも甘さっていうのも一個の暴力ですよね。

「そうですねえ、うん」

●Syrup16gっていうバンド名の段階から、もう暴力がありますよね。

「(笑)。そうなんですよね。なんかその、ほん とメロディーってこうグッと持っていかれるもんだから、相当ううん……なんかね、昔の自分が、思春期とかもっとさかのぼればその前のころに聴いたメロディーとかね、童謡みたいなメロディーでもなんでも、ほんとに胸ぐらをかきむしられるような気持ちになるときありますからね。相当暴力的だと思うんで、そういう意味では今回もかなりメロディアスな部分とコアな部分ていうか、ロックな感じがいい感じで調和できたんじゃないかなあという気はしますね」
●そうですね。なんかこう下手なハードコアパンクよりも、例えば"ラブ・ミー・テンダー"の方がすごい死にたくなるような気持ちになるじゃないですか。
「ハハハハ、なりますね」

ぼろぼろのままでも結構いけちゃうなっていうか、そこに結構ほんとに至上の幸せがあったりとか、普段は見えない美しいものを感じちゃったりとかね、ほんと……どこに行っても幸せは……ほんとね、この"ハピネス"というので言ってますけど、感じられると思う

●そのメロディーの甘さと、あと3ピース・バンドとしての高ぶりっていうのが、例えば1曲目の"My Love's Sold"。「一応臨戦状態です」ってフレーズの前にグオーってグルーヴが隆起する感じに3ピース・バンドの高ぶりが出てるなあと思ってて。非常にその辺のバランスというのはいいですよね。

「ああ、そうですね、ありがとうございます」

●"My Love's Sold"は1曲目としては最高のオープニングだと思うんですけど、「一応臨戦状態です」と。まさにクーデターと。

「そうですね。なんかね、やる気あったんですよね」

●アハハハハ。「やる気あったんですよね」。過去形ですね(笑)。

「いやあ、相当これ意気込んでますよね」

●「生きていたいと思ったんです」とまで言ってますね。
「そう、うん。ただまあ、まあね、そうですねえ……でも流れ的に追っちゃうと結構クーデター失敗みたいな感じかもしんないですけどね、でもこうなんか、とりあえず13曲もね、延々やってるわけだし、でまたちょっとこう希望を つかもうとしてる自分がいたりね、そこが結構リアルっていうかね、やっぱりこう『行くぜー!』ってやってほんとに勝利、成功っていうのはね、そういうストーリーを描けない人生もリアルだなと思うんで、でもあきらめないっていうか、でも全然丈夫だなこいつっていう、負けても全然平気なこう……」

●なるほどね。負けても平気。

「平気……平気じゃないけど、全然ぼろぼろなんだけど、でもぼろぼろのままでも結構いけちゃうなっていうか、そこに結構ほんとに至上の幸せがあったりとか、普段は見えない美しいものを感じちゃったりとかね、ほんと……どこに行っても幸せは……ほんとね、この"ハピネス"というので言ってますけど、感じられると思う」

●全部を黒く塗りつぶしてる音楽だと思うんだけど、やっぱりどっかで黒く塗りつぶさないものを信じてたりしてるんですか?

「そうすね………塗りつぶしてみたいっていうか、いっそ塗りつぶしたいと思っちゃうと思うんですね、投げやりなときは。でも塗りつぶせないのが悲しい人間の性(さが)というか、もう果てしなく享楽的に、もう最後は死んでもいいやっていうふうに生きられたらどんだけ楽かと思うんだけど、そういうふうにやっぱり生きれないのも人間じゃないかなあっていう気はするんですよね。そこの狭間で何回もあきらめては、まだちょっとやろうかなと思ってみたりとか、うん。そこになんか究極の自分の中での……言いたいことなんかないんですけど、それは感じますね、その歌詞を今見てて」

●なるほどね。この"My Love's Sold"、「一応臨戦状態です」っていう宣言から始まって、最後「汚れたいだけ」っていう……。

「アハハハ」

●なんじゃそりゃっていう(笑)結論が待ってるんですけど。"汚れたいだけ"の中で、「復讐するのが 生きる意味に成り果てても 悲しむ事はない」っていう、この復讐というのが何に対する復讐なのか。

「これは僕ねえ……一人で夜中なんか、バーじゃないですけど飯食うとこみたいなところで、薄暗ーいところで一人でボーっと考えてたら、なんか生きるってすべてにおいて復讐……『復讐』ってちょっと言葉が重いですけど、なんかに対するリアクションでしか人間ってこう…… ガッてならないっていうか。だから、ほんとに広い意味でっていうか、ほんとトラウマがあって復讐じゃなくて……そんときそう思ったんだよな、なんでだろう? ……だからリアクションていうことなんですよね。何かをされたことによるリアクションで自分というのはなんかしてんだなって思うところがあって、それがなくなるのが要するに死にたくなるときだと思うんですよね。復讐っていうのはすごいネガティブな言葉であるけども、でも広義の意味ですごいポジティブなもんにもなり得るっていうか、むしろそれがないとほんとに死んでしまうっていうか、人間をやめてもいいと思えてしまうというか、うん。ていう意味だと思うんですけど」

●ちょっとまとめみたいになっちゃうんですけど、非常に受動的な状態を歌ってると思うんですね、人間の。要するに神的なもの、運命に翻弄されるというのか。それに対する復讐っていうのかな。

「ああ、それはありますね」

●(運命の)シナリオどおりにはいかせないぞっていう。

「うん。なんかね、なんでこんなにうまくいかないのかと思いますけど、でもうまくいってもつまんないし、うん。なんか翻ろうされる中で自分ていうのができてくるっていうか、逆に人に対する気持ちとかもそこで生まれるしね」

●だから、『coup d'Etat』というのはメジャー1発目だからっていうことよりも、なんか僕にはある種運命に対するクーデターっていうと大げさだけども―――。

「ああ、それもらいます、それ(笑)」

●(笑)。非常に日々五十嵐さんが感じてること、だから神って言葉が自然にこのアルバムに多く出てくるのと同じように、やっぱりクーデターって感覚はずっと持ってる方なのかなあっていうのを、この「復讐」っていう一言で感じたんですけどね。

「そうですね。まあその、クーデターの意味的には、平和的な自分の革命じゃなくて、暴力的なもののニュアンスを含んでる言葉だと思うんですよね。だから、でもその暴力っていうのがすごくこう、自分の中での暴力性を否定しないっていうことは自分の中ではすごい新しいことなんですよ。自分のサディスティックな面ていうか暴力的な面ていうのはなかなか音楽の中で 表現するのはすごい嫌だなと思ってるときがあったんですけど。『COPY』なんかもそういう、あんまり暴力的な面はないかもしれない、被害者的な視点から書かれてるのが多いけど、でもそういう……ちょっとね、クーデターもいいんじゃないすかね」

●なるほどね。じゃあ被害者意識的なものっていうのは非常にロックで強いじゃないですか。RADIOHEADとかも初期はそうですよね。じゃあ、そういった意識とオレらは一線違うんだよっていう意識はありますか?

「そう……視点ていうかその、『お前人生勝ってるか?』って言われてみれば微妙に負けてるわけで(笑)、微妙にっていうか確実に。でも、勝ち負けうんぬんよりは……まあ、限りある時間の中で生きてるという意味ではみんな負けるわけだから、永遠に生きてる人はいないわけでね。その中でどんだけ自分がやるかっていえば、やっぱり勝ちたいんですよね。ほんとにどんな手段でもいいから自分の中で力を持ち続けていなきゃいけないっていうかね、うん。それは思います。被害者であることに安住できるほどこう……強くなかったのかもしれないすね。うん。ほんとに仏陀とかガンジーのように非暴力で生きれるほど僕は強くなかったんで………改革し始めたのかなあと」

●なるほどね。

「はっきり言って詞は完全に負けてますけどね。もう13タテぐらい食らってますよ(笑)」

●(笑)惨敗?

「13タテ食らってるんですけどね、もう。でもそれでも全然ピンピンしてますからね。ご飯おいしく食べてますんで」

●なるほどね。じゃあ被害者意識を超えたんですね。

「被害者意識は……そうですね。被害者って楽ですからね基本的にね。だからもう……だからって自分の普段の生活において勝者でいれるかっていうといれないんですけど、でも、なんかね、この表現の中だけでも自分の暴力性みたいなものを出してみたいっていうか、うん。ほんとに人を殴ったりするのはあんまり得意じゃないんでね、できないかもしんないですけど……そうすね」

●なるほどね。じゃあクーデターってずっぱまりじゃないですか、結果的に。

「答えはそうですね、はい」

●あとまあ、負けてるといいつつちゃんと実況ができてるっていう意味では―――。

「そうそうそう、意外と冷静な、はい」

●だから、そういった意味では引き分けぐらいには持ち込んでますよね(笑)。

「アハハハ。なんかもう結構13ラウンドぐらいやって、もうお客さんが3人ぐらいしかいなくなってて(笑)」

●で、何言うかと思ったら汚れたいだけ(笑)。

「そうすね、なんかもう泥仕合になって最後『ドラえもん』の6巻だっけ? 最後(のび太が)ジャイアンに勝つじゃないですか。あんな感じで勝ったかもしれないんですね。勝ったっていうか、ちょっと勘弁してくれっていうか、くどいよっていう」

●敵が嫌んなったみたいな。

「そう。相手してくんなくなっちゃって、最終的に判定勝ちみたいな」

●神にも悪魔にも見放されたような(笑)。そういう幸福だか不幸だかよくわからない状態に。

「でも"汚れたいだけ"の最後のピアノが入ってくるんですけど、あそこは僕、スローモーションのガッツポーズが浮かぶんですよね、自分の」

●「エイドリアン!」って言ってる自分のガッツポーズ(笑)。

「そうそうそうそう(笑)。ロッキーがね」

●ロッキーが出てくる(笑)。

「なんかいい感じですよ。最後はすごい浄化された気分に僕はなりましたね」

●汚れていたいと言いながらも真っ白になっていく感じはした?

「そうですね。うん、なりましたね」

●それはやっぱり汚れたいだけっていう欲望を吐き出したことで、すごい突き抜けた?

「そうですね、汚れていたいっていう……その前に『壊さないで』って言ってるんですけど、もう自分を壊してしまうぐらいだったら汚れているほうが全然いいじゃないかっていうか」

●なるほどね。

「ちょっと……人間ってちょっといい人になりたいとかね、自分がよく生きたいっていうのがあるじゃないですか。そんでやっぱ負けるのは嫌だし、できれば閉じこもってたいけど、でもそんで自分を壊していっちゃうようだったらも う汚れていったりとか、傷つけたりとか傷つけられたりとかしてるほうがまだいいんじゃないかっていう気持ちはあるんですよね」

●要するに「生きたいよ」っていうのとそんなにアングルは変わらないっていうか…。

「変わらないと思いますね、言ってることは」

●じゃあ非常に一貫した五十嵐さんの精神モードっていうか、多分五十嵐さんの人間性だと思うんだけど。

「そうですね、なんか、ほんとに1カ月かそのぐらい、何週間かの中での自分の感情の振れ幅なんですけど、でも考えてることっていうのはすごい普遍的に僕の中であって、たまたま今回は逆ギレ感ていうか、そういうのが出てるっていうところは新しいかなっていう。次はどうなるかまたわかんないし、うん」

●わかりました。まあその攻撃的なモードがこれからライブでどうなっていくのかっていうところとか――。

「そうですね、うん。楽しみにしてください」

●ありがとうございました今日は。お疲れさまです。

「ありがとうございました。お疲れさまでした」